直江山城守兼続公 与板 与板町 長岡市 新潟県
兼続公が与板城主になったのは、天正9(1581)年であり、上杉謙信の跡を嗣いだ上杉景勝の執政(家老)として活躍Lた。時に越後は幾多の難局に直面し、越後を脅かす織田信長軍・徳川家康軍・北条氏直軍との交戦、さらに佐渡・出羽庄内(山形県)の平定など戦闘が続いた。これは他国の侵略でもなく、天下への野望でもない。ただ越後の安泰のためであった。 公の居城は与板城(通称・城山)であり、直属の家臣は121名の与板衆で、これに強い権限を与え、土地を調べる検地惣奉行、上杉家臣団の給地のことにあたる知行地宛奉行、上杉家直轄の料地に関する蔵入地奉行から庄内・佐渡代官などの要職も、与板衆を中心にして行なった。また水利事業による農政をはじめ、産業の振興など越後全土にわたる国づくりに貢献した。 勿論、与板の城下の発展に力を結集し、与板衆および領民と共に、与板の町づくりの基礎をつくったのである。 公はまた学問をよくし、施政繁忙の中でも和漢の学をひもとき、少閑あればよく詩を詠んだ高雅な人柄である。まさに文武兼ね備えた英傑であった。 ここに公の遺徳を偲び、これを継承することを願い、多くの方方の尊い浄財と、町と議会の御支援を得、茂木弘次先生の制作により、兼続公の銅像を建立Lた次第である。平成元年11月21日 与板城山史跡保存会
直江山城守兼続公銅像建立委員会