米百俵之碑 大手通り2丁目 長岡市 新潟県
小林虎三郎 文政11年(1828)に生まれ、晩年病翁と改めた。佐久間象山に学び吉田松陰と象門の二虎と称された。 戊辰戦争後敗残のすえ焦土と化した長岡の大惨事に抜てきされた。 教育第一主義を唱え、支藩三根山藩の救米百俵を赤貧にあえぐ藩士の強要を退け国漢学校設立の資にあて長岡復興の礎をつくった。この事蹟は山本有三著「米百俵」によって広く世間に伝えられた。 明治10年病没 年50  昭和50年8月24日  長岡市長 小林孝平