河井継之助記念館 長町1丁目 長岡市 新潟県
雪が来る。もうそこまできている。あと十日もすれば北海から冬の雲がおし渡ってきて、この越後長岡の野も山も雪でうずめてしまうにちがいない。(毎年のことだ)まったく、毎年のことである。あきもせず季節はそれをくりかえしているし、人間も、雪の下で生きるための習慣をくりかえしている。
『峠』のこと
かれは藩を、幕府とは離れた一個の文化的、経済的な独立組織と考え、ヨーロッパの公園のように仕立てかえようとした。継之助は独自の近代化の発想と実行者という点で、きわどいほどに先覚的だった。(中略)かれは商人や工人の感覚で藩の近代化をはかったが、最後は武士であることのみに終始した。武士の終焉にあたって、長岡藩ほどその最後をみごとに表現しきった集団はない。運命の負を甘受し、そのことによって歴史にむかって語りつづける道をえらんだ。『峠』という表題は、そのことを、小千谷の峠という地形によって象徴したつもりである。書き終えたとき、悲しみがなお昇華せず、虚空に小さな金属音になって鳴るのを聞いた。平成5年11月 司馬遼太郎