御旅屋跡 皇大神宮 堀之内 魚沼市 新潟県
 皇大神宮は、正平16年(1361)の草創ともいわれ、御師の一志太夫(三重県伊勢市一志町)の勧請と伝えられる。伊勢神宮の遥拝所として、古くから近郷近在の崇敬をあつめてきた。 祭神は、天照大神と豊受大神であり、猿田彦命も祭られる。例祭は、旧暦の6月15日と10月1日、11月1日である。 6月の例祭は、「祇園祭」と呼ばれ、太々神楽が奉納され、法楽芝居も催された。また、10月と11月の例祭は「『お神送り」「お神迎え」と称される。この神無月にあたり、出雲の神に縁結びを願う人々でにぎわってきた。 中世期には、越後守護上杉家の厚い信仰が寄せられ、その祈願所であったという。上杉家は関ケ原の合戦に敗れ、会津若松から出羽米沢(山形県米沢市)へ移封されたが、一志太夫もそれに同行した。彼の地には、堀之内から分祀された皇大神社が祭られる。 江戸時代、堀之内の皇大神宮御旅屋(おたや)(社務所)には、一志太夫の代官が駐在した。その建物は伊勢屋とも呼ばれ、旅籠も兼ねて宿場町としての機能を担っていた。 そのころ御旅屋では、伊勢参宮を夢見る人たちの醵金によって、伊勢講が営まれていた。くじ引きに当たった人は、「神慮のおかげ」と言って喜んだという。写真は大正11年頃のお神送り風景。 伊勢小路の参道を和服姿で歩く人たちでにぎわう様子が見える。左側の建物が、御旅屋であった。