重要文化財 旧目黒家住宅 守門 須原 魚沼市 新潟県
 目黒邸は、割元庄屋を務めた豪農目黒家の役宅を兼ねた住宅である。寛政9年(1797)に建築された茅葺の主屋は、正面の千鳥破風が役宅に威厳を備えている。建物は寄せ棟造りで、総じて天井高く、柱や梁は木割り太く豪雪に耐える構造になっている。座敷周りや樗亭には意匠的にも見るべきものかある。 中庭には心字の池、滝、稲荷社などが配され、静寂の中に往時をしのばせる。主屋の裏側には中蔵・新蔵があり、周囲には籾蔵、味噌蔵、酒蔵などの跡が残り、豪農の暮しぷりをうかがわせる。目黒家は会津武士の流れをくむ豪農で、江戸時代初期から近郷の村々を束ねる総代庄屋を、江戸時代後半からは糸魚川藩魚沼領の大庄屋職である割元庄屋を代々務め、明治維新に至っている。明治から大正にかけて、親子二代にわたり帝国議会の衆議院議員になり、政界でも活躍している。大正期には魚沼地方屈指の農地を保有し、経営規模は165町歩に達した。明治32年(1899)には広瀬銀行を設立している。大正7年(1918)には自家用車を購入し、県庁が「新1号」で、次ぐ「新2号」は目黒家の番号であったという。大正2年(1913)須原発電所が発電を開始すると、目黒家では電化生活を始めた。大理石の配電盤は富豪をもって知られた当時の名残りを今に伝えている。 魚沼市教育委員会