本堂 雲洞庵 雲洞 南魚沼市 新潟県
当庵の現本堂は新潟県出雲崎の棟梁群によって江戸中期に再建されたのであります。近世寺院建築のもっともすぐれたものとして新潟県文化財に認定されています。それは当庵の建築が日本海文化の最終到達点に位置づけられているからであります。太古縄文時代、弥生時代と日本海が表日本として大陸から中国、朝鮮の先進文化をとりいれ、日本文化の基礎を形成したのであります。日本海の漁業が最大の事業として発展し、魚をとる為の高い見張り台が漁業の盛衰を決定したのであります。長い歴史的時間の流れとともに、太い柱を砂辺に何本もたてた豪壮なものに変化していったのであります。この建造物が権威の象徴として、もっとも神聖なものとして神社として精神的に昇華されたのであります。その頂点にくらいしたのが出雲大社であります。神道に於いて御柱をたてるとか、何本の御柱とか云うのもこの見張り台の柱をたてるという、古代の最大なる事業からきているのであります。出雲地方には最先進文化地域として沢山の棟梁群がこの最も神聖なる建造物の建立の為に出現したのであります。出雲地方の人口の増加にともない、日本海を通じて出雲地方の文化が沿岸ぞいに北へと移動し、越後国に移動し開拓した人々によって地名も出雲崎とされたのであります。この出雲崎を中心といたしまして越後国における文化が形成されその棟梁群によって縄文時代以来の神聖なる建造物、その型式と精神が内陸部へと移動し歴史的多くの建造物を建立し江戸中期に当庵の現本堂を再建立したのであります。仏教的、禅的型式にのっとり、華奢な装飾、彫刻をきらい、簡素にして力強い形式が居ながらにして人間の心を浄化し蘇生させ、日本太古以来のみそぎ(禊)を彷彿せしめております。