坂戸城主長尾政景は、天文〜永禄年代越後戦国時代に活躍し、上田庄、波多岐庄、薮神など魚沼一円(信濃川以東)を支配した代表的な武将。長尾景虎(謙信)との確執があったが、天文20年の盟約後は謙信の関東征戦や、武田信玄との戦いに貢献した。謙信の姉仙洞院を妻とし三子がある。嫡子景勝は、後に謙信の養子となり上杉景勝として越後を承継し戦国大名となる。長尾政景は永禄7年7月5日(1564)急死した。死因は、宇佐美定満による信州野尻池における謀殺説(北越軍記)と、下平吉長による坂戸山麓野田尻(現銭淵)における旧怨説(穴沢文書)の二説がある。享年39歳 法名匠山道宗 官称越前守  南魚沼市
長尾政景公墓所(道宗塚) 坂戸 南魚沼市 新潟県