旧道出口 中山 高山村 吾妻郡 群馬県
「三国街道」のおこり
中山道を高崎で分れほぼ群馬の中央部を通過し、県下の14宿を経て三国峠を越し出雲崎より佐渡にいたる江戸幕府の公道であった。慶長16年(1611)幕府は三国峠の大普請をなし本宿の宿立てに続き参勤交替の制度が整い寛永13年(1636)には新田宿も起こった。中山宿は、横堀から13.2km、塚原まで8.3kmの地点にある。ここを通行した戦国の武将「上杉謙信」文明18年「道興准后」享和3年「伊能忠敬」・佐渡奉行・長岡・村松・新発田・村上・与板の各藩主や家来衆等が挙げられる。  平成13年12月  高山村教育委員会