杢ヶ橋関所跡(田中博宅) 南牧 渋川市 群馬県
この関所跡は吾妻川右岸にあり、元和6年(1620)番所として置かれ、寛永20年(1643)より三国街道筋の川の関所となった。 初め安中藩が、次いで高崎藩が警固し、目付1人、与力2人が2ヵ月交替で派遣され、地元から定番3人(長谷川氏・田中氏・砥柄氏)が選ばれて世襲で勤務にあたった。警固の範囲は、吾妻川は釜ヶ渕から落合まで、利根川は落合から備後堀□までで、柵矢来は東西28間、南北23間、中に問屋と定番役宅3軒、門番小屋2軒か置かれた。  この関所は上州では「碓氷関所」に次ぐ重要なもので越後の村松・与板・長岡等の大名や、佐渡・新潟奉行らの往来があり、特に入鉄砲と出女を厳しく取り締まったと言われる。  昭和63年3月31日  群馬県教育委員会  渋川市教育委員会