上野国分寺跡 引間町 高崎市 群馬県
奈良時代天平13年(741)に、聖武天皇は国の安泰を願うため国ごとに僧寺と尼寺をつくることを命じられました。これは「国分二寺」と呼ばれていましたが、後に七重塔をもち規模の大きい僧寺が「国分寺」と呼ばれるようになりました。 当時、現在の群馬県は上野国と呼ばれていましたが、国分ニ寺は国府(現在の県庁にあたる)の北西に、西に僧寺、東に尼寺が並ぶように建てられました。 歴史書によると、上野国分寺は碓氷郡や勢多郡の豪族の協力により、750年頃には主な建物が完成したようです。これにより、全国の国分寺の中でも最も早い時期に姿が整ったことがわかります。 以下略