旧三国街道一里塚 上野田 吉岡町 北群馬郡 群馬県
慶長9年(1604)江戸幕府は、参勤交替その他政治的な意味を含め、街道には1里ごとに塚を築いて木を植え旅人のためには里程の目印とし、旅の疲れを休める所とした。この一里塚は、高崎の起点から4里の地点にあたる。昭和の初期まで残っていた榎は、高さ8m余り、根回り6mの巨木で樹齢数百年、風雪に耐え多くの旅人の心を慰めてきたのに、つい枯死の運命となり、今あるのは二代目である。この樹下に聖徳4年(1714)と万延元年(1860)の庚申塔があり、いつしか庚申塚と呼ばれるようになった。「野田八景」の一つとして「庚申塚の雨」と歌われ、風情のある所である。 昭和61年4月 吉岡町教育委員会