金古宿南木戸 足門町 高崎市 群馬県
これより金古宿

 古くは中世よりその発生が確認されているこの金古宿は、江戸幕府の5街道整備により発達した中山道より高崎追分にて分れ、越後に向かう三国街道の要所として、発展を致しました。宿場内には代官所、本陣や脇本陣などが配されそれらを挟み込むように問屋や旅籠屋、茶屋などが立ち並び宿場町を形成していました。市が立つときには、芝居小屋や見せ物小屋なども出て近郷からも多くの人が訪れた様です。また勧進相撲など行われたのでしょうか、土俵という地名も残っています。

 ここ南の木戸前の道租神辺りでは、入宿を前に身支度や隊列を整えたり、人待ちをする人々に往来の人々が加わり大層な賑わいであったことでしょう。また昭和28年に廃線となった高崎〜渋川〜伊香保を結ぶ路面電車(通称ガタ電)の足門交換場(待避所)もやはりここに有りました。