三坂茶屋跡 三国路自然歩道 永井 みなかみ町 利根郡 群馬県
坂上田村麻呂の血縁関係であった、田村越後の守が三坂の茶屋を営んでいた所である。又、三国権現の神主でもあった。茶屋跡は道をはさんで南側に、小さな茶屋も、一軒あり、広い敷地で当時をしのぶ事が出きる。当時三坂の茶屋は、三国権現の賽銭をかますに入れて馬で、毎日運ぶ休憩茶屋であり、越後へ越す、お助け小屋でもあり、冬期間の雪のやむまではここで逗留していた。本宅は裏山の小高い場所に敷地跡があった。戊辰の戦いで会津軍が敗北の際に全部が焼失してしまわれ明治時代は道沿いの、大きな家だけであった。
  三国街道の或る一日
文久3年3月15日 長岡藩主奥方一行
御上4人・次女中4人・中居女中2人・末女中21人・下女中11人・老女中2人・腰女中10人・津田某 中元14人・陸尺31人・雇方同勢300人・その他合わせて483人 馬、貨物と乗用で89匹・馬子89人 総計578人 このように一つの行列にしても数多くの人が往き来して当時の交通の盛大さを偲ぶ事が出きる。  新治村観光協会