脇本陣跡池田家 三俣 湯沢町 南魚沼郡 新潟県
三国街道は、江戸と越後をむすぶ江戸時代の幹線路で、諸大名の参勤交代をはじめ人馬や物資の往来がさかんで、街道ぞいに多くの宿場があった。三国三宿とよばれた浅貝、二居、三俣にも本陣、問屋などがあったが、ほとんど失われて当時の遺構としては、この池田家の建物だけとなった。池田家は、当時三俣宿の脇本陣として、諸大名、奉行代官等の宿所であり、問屋業も兼ねた豪家であった。道路に面した主家は、桁行10間(約18m)梁間(約11m)の切妻造り石置木羽葦屋根の2階建てで、内部は、向かって左側の6室が客室部その他が居室部である。全体的に木割が太く、天井の高い堅牢な造りで、特に客室は、上段の間、客室に書院床棚などをそろえた書院造りで、水墨の襖絵透彫の欄間、釘隠しなどに本陣の風格がうかがわれる。居室部には荷物揚卸し場、茶の間、台所、水屋などがあり内庭には消火消雪用の「たなえ」とよぶ池がある。この建物は、江戸時代における宿場の本陣及問屋の機構を伝える遺構として、きわめて貴重な存在である。  昭和29年2月10日  新潟県教育委員会