本陣跡 永井 みなかみ町 利根郡 群馬県
本陣 笛木四郎右衛門  
与謝野晶子歌碑  訪ねたる 永井本陣 戸を開き 明かり呼べば 通う秋風
寛治(1089〜92)の頃奥州の阿部の家臣、長井左門がこの地を開発した縁でその苗字をとり長井村としたのが縁となり謙信が関東に兵を進め三国峠からの山道を開き更に元禄2年(1689)徳川の代となり永井宿が米問屋場に指定され越後米の取引場として隆盛したのであります。 又参勤交代等宿場として栄え越後大名、佐渡奉行、新潟奉行が利用し堀丹後守の場合では(160〜180)名位宿舎全戸を挙げて宿泊に勤めたと、記されている。現在の永井宿の家屋は万延元年(1860)に火災で焼失してしまいその後に建築されたものである。尚永井本陣は翌文久元年4月に完成建物は間口14,5間の雄大な平入切妻造りの二階屋で柿板葺の建築であった。本陣は昭和8年売却され僅かに一枚の写真と1枚の平面図並びに記念に保存されている表側縁の下の波に兎の彫刻のある「もちおくり」が、ありし日の俤を偲ぶことができる。   昭和59年3月1日  新治村