文禄堤 本町2丁目 守口市

この堤は、豊臣秀吉が毛利輝元・小早川隆景・吉川広家の三家に命じて、治水と京街道の整備を目的として修築した淀川左岸の堤防であり、文禄5年(1596)に修築が行なわれたために文禄堤と呼ばれた。文禄提は、度重なる淀川の改修などでその多くは姿を消したが、本市には今なお一部が現存しておりそこは東海道の57番目の宿場である守口宿が栄えたところでもあった。また、京街道は大阪と京都・伏見を結ぶ最短陸路で、京都からは大坂街道と呼ばれ、後に東海道の一部に位置づけられ現在の国道1号の前身となった。