守口宿本陣跡(左駐車場) 竜田通1丁目 守口市
守口は、元和2年(1616)に東海道の宿場となりました。宿場には、本陣や問屋揚が設けられますが、守□宿の本陣や問屋場は現在の竜田通(旧名市場町)付近にありました。その意味で、この場所は、宿場町であった頃には、守ロ宿の心臓部ともいうべきところでした。 本陣というのは、江戸時代に、宿場で大名・勅使・幕府役人などが宿泊した公認の旅館のことであり、問屋場とは宿場の人馬の継立(宿場に着くごとに、備えつけてある馬に乗りかえたり、人夫を新たに雇うことなど)の事務を行った場所です。 ここで気がつくことは、道路の幅が非常に広いことです。守口宿の街道の幅は二間半(約4.6m)と定められていましたが、ここは15m余りもあります。それは、この場所が枚方・大坂への人馬継立や荷物の受け渡しをするところだったからです。 守口宿は明治5年(1872)に廃止され、現在は昔の面影は残っていませんが、そうした施設の存在は、守口を歴史的に特後づけたものとして、意義深い史跡てあります。平成7年2月守口市教育委員会