難宗寺 竜田通1丁目 守口市
文明7年(1475)吉崎を退出し、枚方市出口に光善寺を創立した蓮如上人が文明9年(1477)に守ロ坊として建立したのが始まりと言われ、慶長16年(1611)には本願寺掛所となり、西御坊と呼ばれるようになりました。元和元年(1615)兵火によって焼失し、寛永13年(1679)再建されましたが、その後、度重なる風水害などで朽廃したため、文化4年(1807)に再建されたものが現在の本堂であります。この本堂の平面は完全に左右対称で、典型的な真宗寺院本堂の形式がとられています。また、当寺は、周囲を築地塀て囲み、西南に鐘楼、西面に山門、北に長屋門・太鼓楼を配し、本堂東北に玄関・書院、庫裏を配しており、守ロ市内の真宗寺院として最も整った構えが残されている重要な文化財であります。さらにこの寺の境内には樹齢5百年、高さ25m、直径約1.5m、枝張り約15mの大きないちょうの木があり、これは昭和50年に大阪府の天然記念物に、そして昭和55年に市の保存樹木に指定された貴重な樹木であります。 平成7年3月  守口市教育委員会