佐太陣屋跡 佐太中町7丁目 守口市
この佐太地区は、京都・大阪間の交通・軍事上の要地であったことから、美濃国加納藩(32000石)の永井氏か貞亨年問(1684〜1688)に渚(現枚方市御殿山)からこの地に陣屋を移し、摂津・河内の12000石を領有支配し、約5000uの敷地に屋敷・蔵・牢屋敷等を次々と整備していきました。この陣屋は、加納藩の大阪における蔵屋敷の役目を果たし、年貢米の納入はもちろん、加納藩の特産物である提灯・傘等もここにいったん集積して大阪の町人に売りさばき金融・物資の調達など加納藩の台所の役割を担っていました。 平成3年3月  守口市教育委員会

背後は来迎寺、佐太天神宮