茨田(まむた)堤 太間町 寝屋川市
日本書紀に茨田堤の築造は仁徳天皇11年とあり、これは河川堤として本邦最初のものである。築造は難工事で強頸断間(こわくびのたえま)、衫子の断間(ころものこのたえま)の伝説がよくそれを語っている。当時淀川は水量も多く、平流れに広い土地を河道としていたか、それを二流に分け、その間に農地を確保したのが茨田堤で、一は現在とあまり変わらず西南流し、一は南流して生駒山の西辺で大和川と合流していた。その分岐点がこの碑の建つあたりと考えられる。また土佐日記でいう「わだの泊りの分れの所」もこの地点としてよいだろう。