枚方宿高札場跡(札の辻) 三矢町 枚方市
京街道と枚方宿
枚方市は、淀川に面して古くから交通の要衝であったが、中世末に順興寺(願生坊)の寺内町として町づくりが始まった。豊臣医秀吉は淀川左岸に文禄堤を築いたが、その堤が江戸時代になって京街道として整備された。この公園前の街路の飛石が旧京街道のほぼ中心線である。 徳川幕府は慶長6年(1601)から全国の主な街道の整備にとりかかり、京街道には伏見・淀・枚方・守口の四宿を設けた。本市域の岡新町・岡・三矢・泥町の4か村が枚方宿に指定された。 また枚方宿は淀川水運の中継地でもあり、伏見と大坂八軒家を結ぶ三十石船が枚方浜にとまると「餅食らわんか、酒食らわんか」と茶舟が漕ぎ寄せ、飲食物を売りつけた。これが乱暴な呼び声を売り物に淀川交通の名物となった「くらわんか舟」である。 こうして枚方宿には本陣・旅籠・船宿や、職人・商人の町家が軒を並べ宿場町としてにぎわい、今日の枚方市発展のもととなった。