西岸寺 下油掛町 伏見区 京都市
油懸地蔵
(前略)寺伝によれば、昔、山崎(乙訓郡)の油商人が門前で転び、この地蔵尊にこぼした油の残りを灌いで供養し行商に出たところ、商売が大いに栄えたといわれ、以後、この地蔵尊に油をかけて祈願すれば願いがかなうとして、人々の信仰を集めている。以下略  京都市
芭蕉句碑
貞享2年(1685)任口上人の高徳を慕ってたずねた芭蕉が出会いの喜びを当時伏見の名物であった桃にことよせて
「我衣にふしみの桃の雫せよ」と詠じたもので「野ざらし紀行」には「伏見西岸寺任口上人にあふて」と前書きがある。碑は文化2年(1805)の建立である。任口上人は当山の三世住職。重頼門下の俳人。法名は如羊と称して、宗因に連歌、維舟に俳諧を手ほどきし、晩年、談林の長老として慕われた。当山に訪れる客は多く西鶴や其角、玖也、季吟、意塑らの当時の著名な俳人も多く足をとめた。以下略 西岸寺