甲州道中五十二里塚
甲州道中は、江戸から甲府が表街道、甲府方ら下諏訪が裏街道と呼ばれ、下諏訪宿で中山道と合流していた。各街道とも江戸日本橋より36町(1里、約4km)ごと道の両側に盛り土をして頂上にケヤキ・エノキなどを植えて一里塚とした。ここに一里塚ができたのは慶長15年(1610)頃と言われている。この塚は江戸から52里で西は下諏訪町富部の53里塚、東は四賀神戸の51里塚へと続いている。  諏訪市教育委員会

片羽一里塚跡 諏訪1丁目 諏訪市 長野県