蔦木宿は江戸幕府の宿駅制度によって、慶長16年(1611)ころ甲州道中第43番目の宿駅として設置された。街は街道に面して屋敷割をし、本陣・問屋などが位置づけられた。本陣の規模は広大で多くの座敷や板敷、土間のほか堂々とした門構えや広い玄関、書院造りの上段の間などを具備していた。(中略)  この宿場街は、明治維新による宿駅制度廃止と、さらに、鉄道がこの宿駅から離れたところに敷設されたため次第にさびれていった。本陣も主屋は、明治40年(1907)に南原山に移築され、渡辺別荘として活用されていたが、老朽化したため昭和50年代にとりこわされた。 以下略
 平成六年三月吉日  富士見町教育委員会  上蔦木区

蔦木宿本陣跡 上蔦木 富士見町 諏訪郡 長野県