当家は寛永2年(1749)頃、信州の高遠で酒造業を営んでいた北原伊兵衛光義がこの地に分家をして大中屋(現山梨銘醸株式会社)という屋号で酒造りを創めたと伝える。以来営業は大いに発展し幕末には諏訪高島藩、伊那高遠藩の御用商人を勤め、また脇本陣をも兼ねていた豪商である。降って明治13年(1880)に明治天皇本県御巡幸の際は行在所となった。
 北原家住宅は、台ヶ原宿の街道に面して建つ大規模な町家建築である。主屋は主部の桁行が10間・・・(中略)・・・奥座敷と中の間境との欄間装飾は「竹林の七賢人」の彫刻である。これは立川流宮大工・彫刻師として名高い立川専四郎富種の作品であり、酒名「七賢」の由来とされる。
 建築年代は天保年間(1830〜43)から嘉永7年(1854)にかけて完成したと考えられる。主屋はじめ文庫蔵等付属建物が当時の状態でよく保存され、また、建築関係資料も多く残されており、江戸時代末期の優れた商家遺構である。   平成12年0月12日   山梨県・白州町 教育委員会
北原家住宅4棟 台ヶ原2283番地 白州町 北杜市 山梨