今から六百年ほど昔、芹沢の里(現在の三富村上釜口)に権三郎という若者が住んでいた。彼は、鎌倉幕府に反抗して追放された日野資朝一派の藤原道義の嫡男であったが、甲斐に逃れたと聞く父を、母と共に尋ね歩いてようやくこの土地に辿り着き、仮住まいをしている身であった。彼は孝子の誉れ高く、また、笛の名手としても知られており、その笛の音色はいつも里人の心を酔わせていた。ある年の秋の夜のことである。長雨つづきのために近くを流れる子酉川が氾濫し、権三郎母子が住む丸木小屋を一瞬の間に呑み込んでしまった。若い権三郎は必死で流木につかまり九死に一生を得たが、母親の姿を見つけることはついにできなかった。悲しみにうちひしがれながらも、権三郎は日夜母を探し求めてさまよい歩いた。彼が吹く笛の音は里人の涙を誘い同情をそそった。しかし、その努力も報われることなく、ついに疲労困憊の極みに達した権三郎は、自らも川の深みにはまってしまったのである。変わり果てた権三郎の遺体は、手にしっかりと笛を握ったまま、はるか下流の小松の河岸で発見され同情を寄せた村人の手によって土地の名刹長慶寺に葬られた。権三郎が逝ってから間もなく、夜になると川の流れの中から美しい笛の音が聞こえてくるようになり、里人たちは、いつからかこの流れを笛吹川と呼ぶようになり、今も芹沢の里では笛吹不動尊権三郎として尊崇している。これが、先祖代々我が家に伝えられている権三郎にまつわる物語です。
   昭和65年5月吉日 山梨県山梨市七日市場 

笛吹権三郎之像 石和町川中島 笛吹市 山梨県