桂樹庵理慶尼は、勝沼氏の娘で名は松葉。
永禄三年(1560)兄、勝沼信元が武田信玄により滅ぼされたとき嫁先から離縁され、従者四人をつれ、大善寺の慶紹をたより尼となり千鳥堂の横に庵を結び住し、慶長十六年(1611)に没したという。
 尼は、天正十年(1582)三月新府から逃げ落ちてきた武田勝頼一行を大善寺に泊め、後にその最後の有り様を情愛を込めまとめた 「理慶尼記」が、今も大善寺に、晩年の尼の画像、墓所と共に伝え残されている。

      甲州市教育委員会

理慶尼墓 大善寺 勝沼町 甲州市 山梨県