野田尻宿は、正徳3年(1713)集落起立の形態で宿を構成した。天保14年(1842)には、本陣1、脇本陣1、旅篭は大2、中3、小4計9の小さな宿場であった。蔦屋・紺屋・中田屋・酒屋・鶴屋・万屋など現在も昔の屋号が残っている。もちろん職業は違っている。 お玉ケ井にまつわる伝説は、その昔、旅篭「恵比寿屋」で働く美しい女中「お玉」にまつわる恋物語で、念願の恋が実ったお礼にと、水不足に悩む野田尻のー角に、澄んだ水をこんこんと湧き出させたと言う。何とお玉の正体は「竜」で長峰の池の主「竜神」と結ばれたと言われている。熊埜山西光寺は、天長元年(824)真言宗として創立した歴史ある寺院である。鎌倉時代に建長寺第9世管長智覚禅師を勧請開山として、臨済宗に転宗した由緒ある寺院である。

野田尻宿町並み 野田尻 上野原市 山梨県