「長峰」とは鳶ケ崎(鶴川部落の上)から矢坪に至るまでの峰を指す呼び名ですが、戦国時代に上野原の加藤丹後守が、その出城というべき砦をここに築いたことから、いつかこの付近だけを長峰と呼ぶようになりました。 丹後守は武田信玄の家臣で、甲斐国の東□を北条の侵略から守るため、この砦で監視しました。 ここは、当時の交通の要所であり、要害な地であるばかりでなく、水にも恵まれていました。砦の北側は仲間川に面して崖となり、南面には陣門と呼ぶ木の柵を立てて守りを固め、常に番兵が見張りに当たっていました。 (中略)
側にある石碑は、この地域の獅子門俳諧の門下、日野の花岳寺十六世八峰が、芭蕉と芭蕉門十哲の一人獅子庵支考(蓮二房)の句をそれぞれ刻んで建立したものです。  
     上野原町教育委員会

古池や蛙飛び込む水の音
あがりてはさがりあけては夕雲雀


長峰砦跡

  長峰の史跡 大椚 上野原市 山梨県