八王子千人同心は江戸時代に千人町と付近の村々に分かれて住んでいた半士半農の武士集団で、そのもとは甲斐の武田氏の家臣・小人(こびと)頭と配下の小人(同心)たちにあります。天正10年(1582)、武田氏が滅び、同年6月織田信長が本能寺の変で死亡すると、甲斐国は徳川家康が治めるようになります。家康は旧武田氏の家臣を取り立て、その中で9人の小人頭を武田時代と同様に甲州の国境9ヶ所の道筋奉行に任じました。(中略)文禄2年(1593)、小人頭と小人たちは現在の千人町に拝領屋敷を与えられ、元八王子から移転します。千人町に移された理由としては、八王子城下の混乱が静まったこと、甲州口の押さえとして江戸の西を守ること等があります。慶長4年(1599)、関ヶ原の戦いを前にして、代官頭・大久保長安の指示により1000人に増員され、文字通り「八王子千人同心」が成立しました。 以下略

八王子千人同心屋敷跡記念碑 千人町1丁目 八王子市