戦国時代の終わりごろ、それまで関東を治めていた後北条氏が滅ぼされると、豊臣秀吉の命を受け、徳川家康が新たな領主となりました。家康の統治下となった八王子では、それまでの八王子城下(現在の元八王子)から現在の市街地へ街が移転され、新しい街づくりが始められました。まず東西の道(甲州道中)が整備され、東から横山・八日市・八幡の三宿が開かれました。江戸時代に入ると、八王子は甲州道中の宿場町として、また地域経済の中心都市として発展しました。なかでも八日市宿は横山宿と並び本陣と脇本陣がおかれ、山上家や新野家が本陣役を勤めるなど、八王子の中心的な役割を担っていました。四のつく日は横山宿、八のつく日は八日市宿で六斎市が立ち多くの人々で賑わいました。  参考文献  江戸時代の八王子宿
一般国道八王子道路元標
道路元標は、大正8年制定の旧道路法において、各市町村に一個設置するとされた石標で、道路の起終点・経過地点として利用されました。八王子市では大正9年に当時の「八幡町3−1」に定められていました。近年では、道路元標の設置位置を定めた法令はありませんが、一般国道16・20号の「八王子」を示す距離の起点として、ここに一般国道八王子道路元標」を設置します。本来の八王子の起点は、八日町交差点の中央部にあり、この道路元標の中心から北西におよそ19mの位置となります。この位置は、「一般国道16号では起点の横浜市桜木町より40km」、「一般国道20号では起点の中央区日本橋より45km」となっています。

八日市宿跡・道路元標 八日町 八王子市