牛窪地蔵尊 道供養塔 甲州街道・中野通り笹塚交差点角 渋谷区

牛窪地蔵尊は今を去る260年前(正徳元年拾月)に建立されたものである。庚申塔は享保9年十一月建てられた。以前この地は極悪人の刑場として牛を使って最も厳しい牛裂きの刑という両足から股を引き裂く酷刑場の地であったと伝えられている。この牛と窪地であったことから牛窪の地名となり牛窪の地名と共に幡ヶ谷地方の雨乞い行事の場所としても有名であった。宝永より正徳年間にかけてこの地に悪疫病がはやりこれが罪人の霊のたたりだと伝えられ子供の安泰を守り苦難の時の身代わり地蔵としてこの淋しい土地に地蔵尊を祭り霊を慰めたのである。道供養塔は中野通りから甲州街道につきあたりの場所で道しるべとしてもわかり易く当時行路者の行き倒れが非常に多く篤志家によって建てられたものである。
 昭和40年頃より急激なる自動車の発達に伴い交通事故死者急増、昭和45年5月甲州街道の拡幅により移転を余儀なくされ約18m後退の当所に地元正徳会各委員有志の尽力により移転建立し当地区の文化施設として永久に保存すべくここに其の竣工をみた。謹んで諸霊の冥福を祈る。  1970年5月16日(昭和45年)
道供養碑 渋谷区幡ヶ谷1丁目10番
この道供養碑によって、江戸時代の道供養信仰を知ることができます。道祖神、地蔵尊などの交通安全、悪魔退散の呪術的信仰とはちがい、これは橋供養と同じように、道路自体を供養して報恩感謝の念を捧げることにより、交通安全を祈ろうとする全国でも珍しい供養碑です。中野通りの延長は鎌倉道の一部で、この道供養碑はもとそれに面してたてられていて、鎌倉道の供養碑であったことがわかります。なお、甲州街道に中野通りが交わるこのあたりは、地形が少し低くなっていて、江戸時代から牛ヶ窪と呼ばれており、幡ヶ谷地域の農民が雨乞い行事を行う場所でした。  東京都渋谷区教育委員会