成覚寺 新宿2丁目 
旭地蔵
三界万霊と刻まれた台座に露座し錫杖と宝珠を持つ石地蔵で、蓮座と反花の間に18人の戒名が記されている。これらの人々は寛政12年(1800)から文化10年(1814)の間に宿場内で不慮の死を遂げた人達で、そのうちの7組の男女はなさぬ仲を悲しんで心中した遊女と客達であると思われる。これらの人々を供養するため寛政12年7月に宿場中が合力し、今の新宿御苑北側を流れていた玉川上水の北岸に建立した。別名夜泣地蔵とも呼ばれていたと伝えられる。明治12年(1879)7月道路拡張に伴いここに移設された。宿場町新宿が生み出した悲しい男女の結末と新宿発展の一面を物語る貴重な歴史資料である。
  平成5年11月  東京都新宿区教育委員会
子供合埋碑
江戸時代の内藤新宿にいた飯盛女(子供とよばれていた)達を弔うため、万延元年(1860)11月に旅籠屋中で造立したもので、惣墓と呼ばれた共葬墓地の一角に建てられた墓じるしである。飯盛女の抱えは実質上の人身売買であり、抱えられる時の契約は年季奉公で年季中に死ぬと哀れにも投げ込むようにして惣墓に葬られたという。もともと墓地の最奥にあったが昭和31年の土地区画整理に際し現在地に移設された。宿場町として栄えた新宿を蔭で支えた女性達の存在と内藤新宿の歴史の一面を物語る貴重な歴史資料である。
平成5年11月  東京都新宿区教育委員会