文化文政期に江戸文化は爛熟期に達し、いわゆる化政時代を出現させた。歌舞伎は民衆娯楽の中心になった。「東海道四谷怪談」の作者として有名な4代目鶴屋南北も化政時代の著名人である。「東海道四谷怪談」の主人公田宮伊左衛門(南北の芝居では民谷伊右衛門)の妻お岩を祭ったお岩稲荷神社の旧地である。物語は文政10年(1827)10月名主茂八郎が町の伝説を集録して、町奉行に提出した「文政町方書上」にある伝説を脚色したものである。明治5年ごろお岩神社を田宮稲荷と改称し、火災で一時移転したが、昭和27年再びここに移転したものである。  昭和43年3月1日  東京都教育委員会
江戸時代、文政8年7月歌舞伎戯作者四世鶴屋南北作「東海道四谷怪談」が世に宣伝され、於岩様庶民の畏敬を受け当山その由緒の所として現在に至ったが戦災に遇い協議の上本堂を栃木県下野から薬師堂を移築した棟札には宝暦7x年とある。於岩様の戒名は得證院妙念日正大姉 墓は元鮫ヶ橋にあったが現在は移転し巣鴨新庚申塚にある。当堂内には於岩様御尊像奉祀され参拝者祈願の対象となり境内には由緒の井戸、再建記念碑等がある。
  平成5癸酉年10月吉辰  於岩稲荷 長照寺 陽運寺 総代、世話人一同
 於岩稲荷神社・陽運寺 左門町 新宿区