(前略)この仏像は彫造の形式造形の技法に照らして鎌倉時代に入神の名工によって造られたもので伝承によると奥州の豪族安部忠良卿が京都より名工を招き・・以下略  牡鹿町教育委員会
宮城県指定有形文化財    観音堂一棟
 観音堂、正しくは大悲殿といわれる。古くは天台宗後山寺に属し、江戸時代は真言宗持福院に属したが一般には観音堂と呼ぱれて親しまれている。大同元年(806)の創建と伝えられるが確かではない。その後数度の改修築が施され、現在のものは宝暦五年(1757)の改修と言われるがこれも棟札がないので確かでない。三間四方、屋根宝形、茅葺(昭和32年桟瓦葺に改修)石礎の上に立つ。正面桟唐戸、左右蔀(しとみ)戸、内部の厨子、本堂の内外に彩色が施されているが外部は褪色している。海老紅梁の渦文、若葉文、内部紅梁の獅子頭の彫刻、木鼻類の細部技法に優れたものがあり、組物や木鼻の意匠に江戸初期〜中期の特徴がみられる。
 持福院観音堂 十一面観音菩薩 給分浜 石巻市