川越城は、関東管領の扇谷上杉持朝が関東を支配する拠点として、長禄元年(1457)大田道真・道灌に築城させた平城である。城域は、現在の初雁公園から川越高校へかけての一帯にわたっていたものと思われ、今でも少し注意をすれば土塁や堀の跡を見いだすことができ、県指定史跡となっている。 この城は、上杉氏が6代81年間、次いで北条氏4代54年間の居城となり、戦国争乱の拠点となったが、徳川家康関東入国後は、譜代・親藩大名の居城となった。城域は、近世になってからも逐次拡張されたが、寛永15年(1638)松平伊豆守信綱が領主となってからは急速に城郭が増築され、江戸防備の要としての役割を果たす城となった。江戸時代における城主は、酒井・堀田・松平・柳沢・秋元・松平の諸侯で太田氏の築城以来420余年を経た明治4年(1871)ついに廃城となり、建物の大部分は解体撤去された。 現在ある建物は、嘉永元年(1848)、時の城主松平大和守斉典(なりつね)が造営したもので、大唐破風造りの玄関、大広間そして櫛型塀のみを残すだけであるが、川越藩が17万石を有した時の建物の主要部分で、県内唯一の城郭建築の遺構として重要なものである。  昭和57年3月  埼玉県
川越城本丸御殿 郭町2丁目 川越 埼玉