浅間神社古墳(市指定史跡)
円墳で、その規模は高さ約5m、周囲42mである。現在この古墳の頂上には、浅間神社が祀られており、このためかなり削りとられて墳頂部は平坦になっている。(中略)群集墳が発生した初期の頃に築造されたものであり、6世紀の中頃のものであろう。仙波地域一帯が農業を専業とする人々によって村落が形づくられ、その指導者の墓として作られたものであり、川越市内では、的場古墳群、南大塚古墳群、下小坂古墳群に次いで残っている仙波古墳群のひとつである。    昭和63年3月  川越市教育委員会


占肩の鹿見塚(市指定旧跡)
万葉集巻14の    武蔵野に占(うら)へ肩灼きまでにも 告(の)らぬ君が名うらに出にけり
という歌は古代日本人が多く住んでいた鹿を持し、その肩を焼いて吉凶を占った習慣にふとよせた情緒深い歌であるが、この誕生地が長いこと謎だった。この仙波の地には、父塚・母塚もふくめて古墳群が形成されていた。しかし、この鹿見塚は大正3年に東上線が開通する際、破壊され消滅してしまったが、土地の小名にも「シシミ塚」「シロシ塚」などと記録されている。シシとは鹿のことである。建碑の場所は便宜上浅間神社の前を選んだのである。  平成4年3月   川越市教育委員会
  富士浅間神社 富士見町 川越 埼玉