旧川越街道と地蔵街道の交差するこの地を、「角」(かど)と呼びます。丹沢の霊山大山の阿夫利神社へ参詣する際に、亀久保村から最初の曲がり角に建つ常夜燈なのでこの名があります。この常夜燈は、享和2年(1802)に建てられたもので、明治30年(1898)には、笠石と台石部分が再建されています。当時は街道の中央におかれ、夜になると火袋に灯を上げて農作物の収穫を祈りました。道標もかねており、ここを起点に役場に向かう道が大山道で、地蔵街道ともよばれ、元禄7年(1694)、三富開拓(上富は、亀久保村から移住した48軒が開発にあたる。開発名主は亀久保村の組頭三右衛門=後に忠右衛門と改名)のために開かれた道です。農作物の神と雨降りの神をまつる大山参拝をはじめ、富の地蔵様へのお参りに利用されました。写真左が地蔵街道
  角の常夜燈 亀久保3丁目 大井町 埼玉