一乗院略縁起(抜粋)
当山は山号を並流山、院号を一乗院、寺号を平等院と称する。真言宗智山派に属する寺院である。寺伝によると「古来人ニ依ッテ成ル」とされ「716年駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野ノ7国ノ高麗人、1799人ガ武蔵国(現在の入間付近)ニ移住シ、高麗郡ガ置カレタ。ソノ後戦乱アリテ高麗ノ城陥レリ時、主将某ハ敵ノ為ニ討レ畢ヌ。家臣5人遁レテ落人トナリ此ノ膝折ノ地ヘ来レリ、其頃ハ只原野ナリ。彼ノ5人ノ者力ヲ合ワセテ遂ニ家ヲ作リ居住ノ地トセリ、高麗氏ヲ家号トセル者アリ、ソノ時乱世ノ平和ニ立チ還エル事ヲコイ希イ、且世ノ人々ノ後生ト縁者ノ菩提ヲ願イテ守リ本尊タル11面観世音菩薩ヲ勧請安置シ一宇ヲ建立ス」というのが起源とされ当時は観音寺と呼ばれていた。

江戸時代の本堂 
(明治初期に客殿が朝霞第一小学校の仮校舎として)

板石塔婆
この一乗院にはおよそ140基あり、文和2年(1353)から文明12年(1480)まで年代順にそろっており比較的小型です。また板碑ともいわれ鎌倉期より室町期に多くは死者の供養のため建てられました。また材料は秩父地方で産出する青石(緑泥片岩)です。 昭和59年2月 朝霞市教育委員会
  一乗院 膝折1丁目 朝霞 埼玉