この案内板に前の坂道は、江戸時代の川越街道です。板橋宿の平尾(板橋3丁目)で中山道と分かれた川越街道は、上板橋や下練馬の宿を経て川越城下へ通じていました。街道はこの付近で白子川の作る谷へ下りるために急坂となり、新田坂と呼ばれていました。ここに保存されている石造物4基は、新田坂周辺から集められたものです。道祖神は、区内唯一のもので、文久3年(1862)に建立されました。もともとは、八坂神社の入口付近にありました。常夜燈は、文政13年(1830)に建立されたもので、成増2丁目34番の角に立っていたようです。「大山」と刻まれていることから道標もかねていたのでしょう。川越街道と分かれて南へ向かう道は、土支田方面へ通じていました。稲荷の石祠と丸彫りの地蔵は造立年代は不明ですが、どちらも大切に保存されています。昭和59年度、4基の石造物は区の有形文化財に登録されました。  平成11年3月  板橋区教育委員会
   新田坂石造物群 成増 板橋