江戸時代、銚子や鹿島灘などで水揚げされた鮮魚は江戸日本橋の魚市に送られていました。旧暦の五月から七月の夏季には関宿を回って全て船便で送られました。それ以外の季節は銚子から木下、布佐の河岸に送られ、そこで馬に積み替えられて陸路、木下からは行徳へ(行徳みち)、布佐からは松戸へ(松戸みち)送られ、再び船に積み替えられて日本橋へ送られていました。布佐のこの付近は松戸みちの出発点でした。銚子で夕刻に出発した鮮魚は翌日の夕刻から夜に日本橋に到着したそうです。 なま街道で鮮魚の輸送がはじまったのは慶安三年(1650)頃からです。布佐から松戸に至る道筋は時代により変わりましたが享保12年(1727)以降は、布佐一発作一亀成一浦部一平塚一富塚−藤ケ谷一佐津問一金ケ作一松戸の道筋をたどって送られました。 明治になり馬にかわって鉄道が使われるようになると、なま街道もその役割を終えました。2004年11月 我孫子市教育委員会

生(鮮魚)街道起点(観音堂裏) 布佐 我孫子市 千葉県