大慈恩寺は、天平宝字5年(761)唐の大律師鑑真和尚の開基と伝えられ、鎌倉時代以降は千葉一族の大須賀氏の厚い保護を受けて繁栄した寺院です。寺域内には真源の名が刻まれた延慶3年(1310)の梵鐘(県有形文化財)があります。室町時代に入ると、足利尊氏の弟直義より御教書が下され幕府の勅願所となり、さらに尊氏兄弟が、鎌倉幕府滅亡後のたび重なる戦乱による戦没者の霊を弔うために発願した、一国一塔の内の一つ、下総利生塔も建立されるなど、室町幕府の庇護を受けた様子がわかっています。利生塔は、現在、境内にその礎石14個が遺り、昔の面影をとどめています。(町指定史跡)本寺は光明天皇の時に勅願寺となり、明徳2年(1391)、後小松天皇から「大」の一字を賜って以来「慈恩寺」から「大慈恩寺」と称されるようになったと伝えられています。江戸時代になってからも、徳川幕府から代々20石の朱印地を与えられ、御朱印寺の格式をもっていました。 以下略
梵鐘 延慶3年(1310)製 板碑群
石仏 利生塔礎石群(室町時代)

大慈恩寺 吉岡 成田市 千葉県