丹下左膳の碑 岩子 相馬市 福島県

奥州相馬中村藩(6万石)、相馬大膳亮の家臣丹下左膳は、主君の密命を受け、関の孫六作、夜泣の名刀「乾雲丸、坤竜丸」をねらい、不浄門を出て江戸に向かった。時は、徳川8代将軍吉宗公の御治世。当時宇多川の清流は、この地を経て松川浦の葦を洗い、古湊から太平洋に注いだ。 江戸にいた左膳を援けた兵糧も又この地を経た。乾坤の二刀を手にした時、左膳の脳裡に浮かんだのは、一路松川浦へ、そして中村城へ堂々と帰る日の晴姿であった。不忘が描いたこの型やぶりの相馬武士のロマンを偲び、このゆかりの地に碑を建て永く記念する。  平成元年(1989年)9月  丹下左膳の会