新田町一里塚
(前略)主要地方j道でも、各藩がこれをまねて一里塚を築いたといわれるので、この塚もほぼ同時期にときの磐城平藩主鳥居氏によって構築されたものと考えられる。ここ新田町は、江戸から数えて66里であるから、66番目の一里塚といえる。当時は歩いて旅をしたので、人々はこの塚を数えながら歩度を加減したといわれる。この塚は、昔の陸運を知る上で数少ない貴重な遺跡である。  福島県双葉郡富岡町教育委員会  所有者 徳永猛 富岡町大字本岡字新夜ノ森505
旧陸前浜街道松並木
この街道は、武州千住から水戸、平を 過ぎ相馬を通って岩沼に至るかっての東(あづま)海道北浜通りである。明治  年  月陸前浜街道と改称、同十八年国道十五号となる。今の一級国道六号線の前身である。松並木は慶安二年(1649)ときの平藩主内藤忠興の命により植えられ更に正徳三年(1713)に補植が行われている。幾多の風雪の重みを幹の曲りに見せうつろい行く世の姿をみっめてきた貴重な並木といえる。   富岡町教育委員会

新田町一里塚・陸前浜街道松並木 本岡 富岡町 双葉郡 福島県