現在の国道6号線は江戸時代には岩城相馬街道と呼ばれていた。この街道沿いに一里ごとに一里塚とよばれる塚が築かれたのが1606年ごろのことである。この地(塙)の一里塚もその一つである。広さは約200平方u(60坪)で松と樫の木が植えられ距離のめやすとして、また休息の場所として当時の旅人に役立った。しかし1899年ごろから、たびたび行われた道路拡張整備事業等によって他の一里塚と同様姿を消すに至った。1941年には跡地にそびえていた樹齢約300年の松の大木も交通上危ないため伐採され、今はそのおもかげをとどめるものは残っていない。助川小学校付近が「前塚」とよばれるのは一里塚の前(北西)に位置しているためで一里塚との関係を知る上で貴重な地名である。ここに江戸時代の一里塚の跡をあきらかにし郷土学習の資料としてxxx。
昭和53年3月16日  
茨城県立日立第二高等学校 史学クラブ・社会部
助川一里塚跡(日立二高裏門脇) 鹿島町 日立市