平安朝の頃関本里根川沿岸の長良千軒と言う一部落が洪水のため流されその難民の一部が今の長浜(当時長良浜)に住み後天正の頃この地を開拓平方(後に平潟と改称)と名命一団体が独立した。平潟港は仙台江戸間の唯一の自然港である。寛永年間仙台藩がここを築港し海路運送を始めた寛文10年伊勢国の大富商人河村瑞賢が幕命により仙台荒浜より江戸間の航路を開拓平潟港に番所を設け陸奥の国よりの食料を敏活にかつ正確に江戸に運び忽然として現れた世界一の大都市百万人の江戸の人々を餓死より救う事ができた。河村瑞賢の墓は鎌倉市建長寺にある。 寛文9年鎮守八幡神社を現在地に遷座す。 元禄2年俳句師運日上人芭蕉碑を建立。この辺り目に見ゆるものみな涼し    嘉永6年、藤田東湖この地に遊ぶ  山静海平 の一書を残す

「このあたり目に見えるもの皆涼し」芭蕉

遊女に声掛けられその気になって平潟の八幡村の仰せには必ず妻や子の有る人にや末の約束しちゃならぬ末は必ず泣き別れ 遊女屋より

八幡神社 平潟港 平潟町 北茨城市