茨城大学五浦美術文化研究所 大津町 北茨城市

当研究所は、近代日本を代表する思想家岡倉天心(1863〜1913)の住居跡に設置されました。天心は明治政府の美術文化行政の確立のため目覚しい功績をあげ、26歳の若さで帝国博物館(現東京国立博物館)理事・美術部長、翌年には東京美術学校(現東京芸術大学)の校長となりました。1898年に博物館、美術学校を辞職し、橋本雅邦、横山大観らと日本美術院を創設。以後、天心はインドで後のノーベル賞詩人タゴールと親交を結び、ロンドン、ニューヨークで英文著書「東洋の理想」「茶の本」を出版、ボストン美術館中国日本部長となるなど、国際的に活躍の場を広げました。1906年には日本美術院をこの五浦の地に移し、愛弟子の横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山を呼び寄せました。現五浦美術文化研究所の地所と建物は、1942年に天心の遺族米山高麗子氏より岡倉天心遺跡顕彰会に寄贈され、1955年茨城大学に移管されました。現在の研究所敷地内には、長屋門、旧天心邸(1904)、六角堂(1905)、天心偉績顕彰記念碑(1942)、ウォーナー像(1970)、天心記念館(1963)があります。茨城大学では遺跡の保存に努力すると供に、岡倉天心と近代美術研究のために活用しています。