水戸藩第9代の藩主徳川斉昭公は、天下に率先して海防の重要性を強調し、天保7年(1836)家老山野辺義観を海防惣司という新設の重職に任命し、太平洋を一望におさめるここ助川(介川)村の高台、要害の地形に拠って城郭を築いて居住させ、異国船の無断侵入に、備えさせた。これが助川海防城である。これを海防城と通称するのは、一大名の城と異なり、わが国にも当時類例のない海防を目的とする城郭だったからである。この城は完成までに5年の歳月を要し、総面積は約68万平方mで、助川小学校の校門付近にあった館入口(城の表門)から三の丸、二の丸、本丸と進むに従って高く、本丸には、異国船を見張る櫓もあった。(以下略)日立市教育委員会

助川海防城跡 助川小学校 助川町3丁目 日立市