抑大甕の地は古典に載る所の甕星香々背男と称する屈強なる悪神が占拠していた所であったために伝えて此処を大甕と称する。御祭神武葉槌命は神代の昔に常陸国を平定された日本建国の大功神として仰がれており『大甕倭文神宮縁起』亦は我国最古の歴史書である『日本書紀』によれば天祖天照大御神の御命令により鹿島・香取の二神が豊葦原中津国の禍津神・荒振神々の鎮撫・掃蕩に当られ草木石類に至るまで平定されたが如何とも征服することの出来ない者に常陸国の悪神甕星香々背男があり大甕山上に陣取り強大なる勢力を持っていた。そこで二神に代り悪神誅伐の大任 を負わされたのが武葉槌命であった。命は見事に悪神を誅伐し常陸地方を平定され此の大甕の地にお鎮まりになられ産業開発の道を計られたと伝えられる。当社の創祇年代は詳らかあではないが元禄2年に至り水戸藩主徳川光圀公により由緒の重大なる事が認められることとなり大甕山上より藩費を持って宿魂石上に御遷宮申し上げられ今日に至っている。

大甕(おおみか)神社 大みか町6丁目 日立市