<歴史>石神城は中世においては佐都西郡石神郷に位置し、東には蛇行していた久慈側が流れ、南北を深い谷地に挟まれた要害の地に造られていました。この城が歴史に登場したのが永享4年の石神城合戦の時ですが、小野崎越前三郎が城方を攻めて鎌倉公方の足利持氏より感状を与えられています。(中略)慶長7年に佐竹氏が秋田に移封されると石神小野崎通広も秋田に行き、石神城は廃城となりました。<構造>石神城は東に久慈川を望む本郭を中心に、その北西に北郭(領主屋敷)を置き、その西にに城下町である惣構えを持っており、その中は道路に沿って上宿・中宿・下宿と区画され、観音寺が置かれ、西表が大手口となっていました。また、南の外側には長松院(城主の菩提寺)を置き外郭としました。  東海村

石神城址 石上外宿 那珂郡東海村